なんだか忙しい日が続く。パソコンを打つ手をとめ、窓の外を見た。夕焼け。
そう言えばずいぶん長く旅に出ていない。
そろそろ、出かけようか。

冷めてしまったコーヒーを飲み干し、電源を切る。
行き先も決まらない。明日、起きたら考えよう。
北か南か。海か山か。

少し頬が緩んだ。

翌朝、いつもより早く目が覚めた。
窓を開けると、４月の冷たい風が心地いい。

いつもの習慣で、ＦＭラジオをつける。
ＴＶだと自分の動作が止まってしまうが、ラジオだったら何かやりながら聞く事ができるので、毎朝の習慣となってしまったようだ。

ちょうど、リスナーからのメッセージが読まれている。
「今度の週末に、桜祭りへ出かける予定です・・・・」

サ・ク・ラ・・！？
ここ数年、桜なんてまともに見ていないような気がする。

普賢象（ふげんぞう）、御衣黄（ぎょいこう）、花染衣（はなぞめい）、紅時雨（べにしぐれ）、糸括（いとくくり）・・・・・
桜は、３００以上の種類があると、何かの本に書かれていたのを思い出した。

そうだ、桜を見に行こう！
桜前線には、まだ間に合うはずだ。

早速、シャワーをあび、準備にとりかかった。。。

******************************
ふに？
ご主人様がいつもよりも早く起きている。。。
どうしたんだろう・・・
いつもは目覚まし時計と格闘するのに・・？
あ！・・・さては・・またあのうるさい乗り物で何処かへ行く気だな？？
ちょっと甘えて連れて行ってもらっちゃお♪
みゃ〜お♪
********************************
ん？？
いつもはバイクに無関心、というよりエキゾーストノートをうるさそうに聞いているネコが今日はやけに足元にジャレついてくる。
「どうした？お前も行きたいの？」
と話し掛けながら抱き上げると、まるでその言葉を理解したかのように「みゃ〜ん・・(^.^)」と応える。
「ようし、よし。じゃあ、連れて行ってやるよ。
その代わり、お前が行き先きめるんだぞぉ？？？（笑）」
きままに一人旅を決め込むつもりだったが、どうやらちいさな相棒が出来たようだ。

さてと、どうしたものか。まさかタンクバッグに詰め込むわけにもいかない。
最近使ってなかった大きめのウェストバッグを引っ張り出し底にタオルを敷き詰めた。
カッパも持たないほど荷物を減らしたというのにどうしてこんな苦労してるんだか。
だけど、みーはこっちの気も知らずにまだかというような顔でちょこんとシートに座っている。
やれやれ。お前にはかなわない。
「みー」
「うん、わかったって。ちょっと待ってよ。バイク出すから」
「みー」
みーみー言うからみー。我ながらなんてセンスないネーミングだろう。と、人に聞かれるたびに思う。
ほんとに珍しく今日はよく言うことを聞く。さっとシートから降りて私を待っている。

そろそろ１年になるかな、このバイク。
これ買った時はまわりのみんなも驚いたけど、何より自分が一番驚いた。
高速に乗れば最高速アタックだって言って飛ばしてた私が乗るバイクとは思えない。
マルチ・フルカウル・３００を超えるという最高速度。どれ一つ当てはまらない。
けどバイク屋で見た瞬間に一目ぼれ。エンジンかけてさせてもらったら完全にノックアウトだった。
こんなこともあるんだな。すぐに飽きて買いかえるという大方の予想を裏切って、私はこのバイクをとても気に入っている。
乗らなくても休日のたびにエンジンをかけ、磨けるところは全て磨く。

どるん、どん、どん、どん、どん…

そう、この鼓動がいい。

「みーーーー」
「わかったってば」
ついついバイクに見惚れ、悦にいってしまった私にみーが不満げに鳴いた。

この変な形のうるさい乗り物はボクより一年あとにこのうちに来た。そのくせ、いつも大きな顔をしててご主人さまと一緒にボクを置いてどこかへ行ってしまう。
今日は絶対一緒に行くんだから。
「みーーーー（ねぇ、早く行こうよぉ）」
とご主人さまに催促した。

「わかったから、ちょっと待ってて」
とみーに言い聞かせ、バイクをガレージの外へ。
早朝の、まだ少しひんやりとした風が半乾きの髪をなでる。
昨日の夕焼け空が予告していたように、絶好の旅日和。
ゆっくりとバイクにまたがり、軽くレーシングする。
ドドン、ドドドンと200kg超の車体を震わせるVツインユニットの咆哮。
少々近所迷惑なこの排気音もクルージング時には最高のBGMとなる。

外の陽射しにまぶしそうに目を細めていたみーが腰のウエストバッグへと飛び乗り自らその中へと潜り込んでいった。そして窮屈そうに身をひるがえすと頭をちょこんと出し大あくびをする。
まったく・・・こいつにはかなわないや。
みーの自由奔放な行動に苦笑いしつつ、さぁ、行こうか。。。とみーの頭をポンポンと軽く叩くとみーもうれしそうに鳴いた。
「みーーーー♪」

バイクはアフリカツイン改。

NXR仕様にいろいろいじってある。
砂漠の海を走るバイクにあこがれて、国産のラリーレイドレプリカとしては唯一残った２気筒Ｖツインエンジンは、そのスパトラのけたたましい音と共に私を地平線の彼方までつれていってくれそうである。
しかしスクリーンの向こうにはいつも何かが待っている。
じつは、足つきなど考えてなかったので乗車は少し大変。
さて、今日は何処へいこう？
取りあえず先ずは海を目指す。
そして山に行こう。
住宅街を抜けるまでは控えめにアクセルを開けてバイクの感触を確かめながら走り出す。
突然、薄靄を切り裂いて朝の光がバイクを包んだ。
神々しく光る私のバイクを見てこの旅の幸運を確信した。

早朝のバイパスは走りやすい。
平日の朝と違いとても空いている。
ついアクセルを開けてしまう。
そんな時、バッグの中から聞こえてくる、みーの泣き声。
今日は可愛い相棒と一緒だ、やさしく走ろう。
みーがスピードリミッターになった。

スピードを落とした瞬間、甲高いサイレンが鳴り響いた。
サイレンの主はヤマハＦＺＲの白バイだった。
「んだよ朝っぱらから！、スピード違反なんてしてねーぞ」
バイクを路肩に止め、隆は白バイ警官に食って掛かろうとした。

「相変わらず、元気そうね、た・か・し♪」

　隆を止めた白バイ警官は、ツーリング仲間の陽子だった。
早朝取締りに行く途中、隆を見かけたので止めたくなったらしい。
彼女も普段は、ＢＩＧＯＦＦのヤマハスーパーテネレ改８５０ＴＲＸに乗ってツーリングレイド等を楽しんでいる、ごく普通の女性ライダーであった。

隆と陽子はバイパスの途中にあるパーキングまで移動し、
話をしていた。隆は、地図を広げしきりに何かを書き込んでいるようだ。
しばらく話をし、陽子は仕事先に向かっていった。
缶コーヒーを飲み干し、地図をバッグに戻し、走り出す。
陽子に聞いた、不思議な話が、この旅を数倍面白くさせてくれそうである。
隆は、ついつい笑みを浮かべ、アクセルを開けてしまいそうになる。
バッグの中から、みぃーーーーーーーーと言うサイレンが聞こえてきた。

海？海ってなあに？？
今日のご主人様は、
「お前はゾウに乗ったネコなんだぞ？」
とかボクにはわけのわかんないことばかり言ってる。。。
でもこの海ってやつはキラキラしてとてもキレイだ。
うれしくなってボクも叫んだ。
「みーーーっ♪」

しばらく、海岸線に沿って走る。

「少し、歩いてみるかー。」
「ミ〜〜？？」

バイクを止め、砂浜に‘みー’を放した。　‘みー’は、だいぶ海を警戒しているようだ。
少し歩いた所に、ちょうど座るのにいい流木を見つけた。
腰をおろし、タバコに火をつける。
この時期の海岸は、人の姿もほとんど見られない。　風もないせいか、波もおだやかだ。
本当に、今日は天気がいい。こういうのを、‘海うらら’というのだろうか。

目の前の、‘青’をしばらく見ていて、ふと彼女の瞳を思い出した。

あの時、俺は彼女の質問に答えることができなかった。　いや、気持ちに応えることができなかったのだ……
さっきの、陽子とは対照的な女性。　今、彼女はどうしているのだろう。
もう、２〜３年は経っている。　あの頃は、まだバイクに乗る姿がぎこちなかった。　今でも、乗っているのだろうか。
お互い、バイク乗りであれば、いつかどこかで会えるかもしれない。　そしたら……

「ミ〜〜〜」
「んっ？　よしよし、もうそろそろ昼飯にするかー。」

タバコの火を消し、立ち上がった。。。

左手に続く海を眺めながらバイクを走らせる。
砂浜、走ってみたいな。ラリーに出ようとまでは思わないが、遊び程度でも。

ん、なんだろう、ハンドルがぶれる？いや、ぶれるどころじゃない。まさか！
慌てて路肩にバイクをよせタイヤを指でおす。
「みー？」
みーも思案顔で一緒になってのぞく。
「うわ…」
なんだよ、この太い釘…。しかもフロントタイヤ？
しばらく呆然としてしまう。
ロングツーリングなら工具や、パンク修理セットくらいは持っているが、今日はほとんど荷物を持っていない。
まだ完全に空気が抜けきったわけではないが、ただでさえ重たいこのバイク。
まわりにはガソリンスタンドどころか民家もまばらだ。
「みーーーー」
「…うん、まぁここでこうしてたって仕方ないけどな」
みーに励まされ（？）気を取り直した。
とりあえず、ガソリンスタンドがないか押していってみよう。

フロントタイヤのパンクしたバイクは、僕の想像をはるかに超えて重かった。
まるで、ねっとりとした泥の川を、流れに逆らって遡上しているような、そんな重さだった。

バイクの重さに辟易しながら、僕は、なるべく楽しそうなことを考えることにした。

それで僕は、陽子が話していた不思議な話しのことを考えた。

僕は陽子が語った不思議な話しのことを考え、彼女の言葉の一つ一つを思い出し、それを
語っているときの彼女のしぐさを思い浮かべた。

陽子の話し方は、その不思議な話しを、より一層、興味深く面白いものにしていた。
バイクは相変わらず重かったけれど、陽子の存在が、僕の気を紛らわせていた。

やれやれ、と、僕は思った。
こんなところで陽子に元気付けられるとは・・・。僕は陽子に、ちょっとだけ感謝した。

薄着でバイクを走らせるには十分寒いこの季節でも、さすがに汗だくになってきた。
「みー」
心配そうにみーが僕を見上げる。
「大丈夫だよ」
ちょっと強がってみる。だが、さすがにきつい。道は比較的平坦だがほんの少しの登りがこたえる。
サイドスタンドをかけ、一服する。
目の前に大きなコーナーがある。あそこを抜けてそれでも何もなければバイクをおいて歩こう。
そう決めてタバコを消した。
「あと少しがんばってみるから」
「みー」
みーは軽快に僕の前を行く。お前が牛だったらなぁ。ああ、なんだか疲れておかしなことを考えてるな。
バイクを押し始めるとひいていた汗がまたどっとでた。それでも一応の目標が決まっているとまだがんばれる。
あと３０ｍ、あと１０ｍ…。
「みーー」
…やっぱり無駄だったか。
コーナーを抜けてもいままでの景色と同じ。民家もない…いや、あの看板、なんだろう。
生い茂る木に少し隠れ気味だが、木で作った看板とログハウス風の建物が見える。
『windy』？喫茶店か？こんな人のいないところに…？
だがとにかく、自分の腹も減っている。
「みー♪」
「あ、こら、待て」
みーは一目散にかけていった。

みーは一度も振り向くこともなく白木で出来たポストボックスの立つ入り口の角を曲がるとそのまま見えなくなってしまった。
まったくげんきんな奴だ。
少し立ち止まり、額に吹き出した汗をバンダナでぬぐう。
そしてバイクをポストボックスの横に置き、呼吸を整えてから店の入り口へ入ろうとした時、
「いらっしゃいませ」と爽やかな女性の声がした。
ちょっと意外だった。店の雰囲気からして、ヒゲ面のカントリー親父が出てくるとばかり思っていたからだ。
「あ・・・どうも。みー・・いや、ネコが迷い込んできませ・・」と言いかけたところで俺は苦笑いしてしまった。
なんとみーはちゃっかり店の主人と思われる女性の胸にしっかりと抱かれ、遅いよぉ、とばかりに大あくびをしてるのである。
「あ、このネコちゃん、みーっていうの？」
と女性が微笑む。30歳前後だろうか。
清潔感のある落ち着いた感じの女性オーナーだ。
「えぇ、まぁ・・・みーみー鳴くもので・・・」
と少々照れながら応える。安易な命名もさることながら女性の笑顔に照れていたのかもしれない。
「その様子だと冷たいお飲み物の方がいいかしら？」
という彼女の後について店の中に入る。
壁には往年のレーサーたちの写真やポスターが飾ってある。
「あ・・・すごいなぁ、バイク、好きなんですか？」
という俺の問いかけに対し
「叔父の影響で少しだけ・・・かな？」
と照れくさそうに笑いながら視線を窓際の席へ向ける。
ん？その視線を追うように振り返って、俺は絶句した。その席の片隅に、ぴかぴかに磨きこまれた一台の単車。
エンジンはシングル、ロケットカウルと低く構えられたセパレートハンドル、そして細く長いタンク。
カフェレーサーそのまんまのスタイルのそいつは窓から差し込む陽光をまばゆいばかりに反射してまるでオーラを放っているようだった。
なにより驚いたのはそいつのはしっかりナンバーがついており、飾り物ではない証拠にチェーンオイルが生々しいツヤと匂いを放っているのである。
「ま・・まさか・・？」
と問いかける俺に対し、彼女はクスっと微笑んだ。

店内では、ジョージ・ウィンストンが控えめな音量で流麗なピアノを弾いていた。
僕はカウンターのスツールに腰掛けると、迷わずアイスコーヒーを注文した。

彼女の身のこなしには、無駄というものが微塵も感じられなかった。
彼女の洗練されたその身のこなしは、彼女がバイクを駆る時の流麗さを無言のうちに物語っていた。

アイスコーヒーの入ったグラスをカウンター越しに差し出しながら、彼女が言った。

「ねえ、ひとつ提案があるんだけれど、いいかしら？」
「私はお店を明けるわけにはいかないから、私の代わりにあのバイクをお散歩させて来てほしいの。
あなたのバイクは私の行き付けのバイク屋さんに電話してパンクを直しておいてあげる。どうかしら？」

突然の彼女の提案に僕は面食らってしまった。初対面の相手に対して、その提案はあまりにも唐突すぎたし、
そんな高価なバイク（それは実際のところ、僕のバイクを２台買って、おまけにスペアのタイヤを１セット
買い足せるぐらい高価なバイクだった。）を、はい、そうですかと簡単に借りるわけにはいかない。

僕は彼女の提案を断ろうとした。が、僕を見据える彼女の青い瞳が、僕の言葉を遮った。
僕の脳裏に、砂浜の流木の上で思い出した、あの懐かしいひとの記憶が波紋のように広がった。

−俺は彼女の質問に答えることができなかった。いや、気持ちに応えることができなかったのだ−

カウンター越しに僕を見つめる彼女の瞳には、強い意志の力が溢れていた。
もはや僕には、彼女の提案を断ることは出来なかった。
僕は、僕の携帯電話の番号を彼女に告げると、彼女のバイクのキー受け取った。

前傾姿勢のカフェ・レーサー。
僕はそれに跨ると、タンクの上にそっと手を置き、「はじめまして、お手柔らかに」と呟いた。
銀色のタンクは、何も言わずに僕とタンクの間の虚空をじっと見据えていた。

なにはともあれ、これでツーリングは続けられる。
エンジンを掛けると、その号砲にみーが２センチぐらい飛び上がった。

歯切れの良いアイドリング音が心地良く響く。
その音に一瞬驚いたみーも、いまは美しく磨き込まれた
パーツに映り込む自分の姿を不思議そうに眺めている。
やがてマフラーの色の変化がもう暖気が充分なことを僕らに教えてくれていた。

「みー、そろそろ行こうか。」

ヘルメットをかぶり終えるころにはみーも慣れたもので、しっかりと定位置へついていた。

一目でハンドメイドと判る丁寧にバフ掛けされたアルミ地のタンク。その美しく磨かれたタンクに覆い被さるようにハンドルに手を添える。少々重いクラッチをゆっくりと握り、シフトペダルを一段踏み込む。カチっとした節度の良いタッチがこのマシンの各パーツの加工精度が高いことを証明している。

「気を付けてね♪」

と静かに微笑みながらテラスで見送る彼女に無言でコクリとうなずき、クラッチを慎重につないだ。
ほんの一瞬、苦しそうに回転が落ち込んだが、
（クラッチミートを失敗したのかもしれない・・・）
右手をほんの気持ちひねるとこいつのリアタイヤは何事も無かったかのように、ズドドンっという排気音の高鳴りと共に地面を蹴飛ばし始めた。
そして2速。
タコメーターの針が5000rpmを超えたとき、僕は彼女の「気を付けてね。」という言葉のもう一つの意味を知ったのだった・・・。

それにしてもびっくりした。ようやく冷や汗がひいてきた。

そう言えば僕はシングルに乗ったことがなかった。
少し手がしびれるほどの振動を感じながらふと思った。そろそろバイクを乗り始めて１０年を超えるというのに。

『今日はどこに行くの？』
急に陽子の言葉がよみがえった。
「どこにってことはないよ。海に向かっていって、さくらでも見れたらなってだけで」
「ふーん、さくらね」
陽子は意味ありげにみーにウィンクする。みーまでわかったような顔で陽子を見上げる。
「なんだよ」
「べつに。ね、それよりさ、海に向かっていくんでしょ。知ってる？不思議な話があるの」
「不思議な話？どんな？」
「ちょうどね、このあたり…」
陽子は僕の手から地図をとると指差した。
「このあたりにね、不思議な場所があるんですって。地図を見てもどうしても行けない場所」
「なんだ、それ？」
「さぁ。あたしも聞いただけだからよくわからない。偶然通りがかって、いいな、もう一度来よう、と思っても、どうしても２度と行けない場所なんだって。でも、もしそこにもう一度行けたら願いごとがかなうって話」
「全然わかんねぇよ。大体この辺って言ったって50km四方くらいあるじゃないか」
「知らないわよ。隆がそんな雑な地図しか持ってないからでしょ」
細かい地図持ってたらわかるのかと聞きかけてやめた。答えはわかっている…。
それでも地図に陽子が指差したあたりをマークした。
「まぁいいや。気が向いたら探してみるよ」
「そうね、どんな願い事するか知らないけど。じゃあたし行くわ」
「せいぜい手加減しろよ」
陽子は肩をすくめるとエンジンをかけた…

そう言えばあの場所ってこのあたりのことじゃなかったっけ。
もしかしてさっきの喫茶店…。
まさか。
ばかばかしくて苦笑した。このエンジンのうなりが何よりの証拠だ。そんな幻みたいな話の場所のわけがない。
それでも僕はUターンしようか散々迷った。今ならまっすぐ走ってきただけ。間違いなくこの道を戻ればさっきの場所に戻れるはず。
「みー？」
スローダウンしたエンジン音にみーがないた。
「ん、いや、なんでもない。行こう」
僕は一つ頭をふるとアクセルを握りなおした。

6速4000、一定回転でのクルージング。
先ほど暴力的な一面を見せ、よそ者を拒絶し始めたエンジンも今はドコドコとおとなしくリズミカルな排気音を奏でている。
おそらくは高回転型にチューンされているだろうこのエンジンにはツラい回転数なのかもしれない。
それでも少々制限速度を逸脱してしまっているのだが、この速度域で感じる風と流れていく海沿いの景色のバランスが心地よい。
みーもさわやかな海風を一杯に受け気持ちよさそうに目を細めていた。

やがて初夏を思わせるそのあたたかい海風に少しひんやりとした春の風が混じり始める。
そろそろ桜前線に追いつく頃だろう・・・。
海沿いの道に別れを告げ、左にウインカーを出した。

急ぐ旅でもないので今日は時計を持ってきてはいない。
信号待ちしてる間に太陽を見上げる。
正午・・・過ぎくらいか。。。
やけにゆったりと時が流れる一日。
「みー、そろそろ昼にしようか？」
と話し掛けながらボクはふと、あの店の壁に飾られていた、時の止まったアンティークの時計のことを思い出していた。。。

ふらりと脇道に入った。
今どき珍しい駄菓子屋に毛の生えたような雑貨屋がある。もう少ししたらコンビニになってしまうのかな。
そんなことを考えながらバイクをとめる。
「お前はここで待っておいで」
「みー」
少し不満げになくみーをバイクに残し、店に入る。
「いらっしゃい」
レジの奥のおじいさんが、客がきたことに少し驚いたように挨拶する。軽く頭をさげて適当に菓子パンと飲み物を買う。みーにはパックの牛乳。
「お願いします」
「はい、ありがとう」
おじいさんはめがねをかけなおすと、商品を紙袋にいれてくれた。のんびりした手つきにふと目をあげるとおじいさんの後ろの壁に古い時計がかかっている。文字盤のガラスは曇り時刻も霞んでしか見えないが、振り子は正確に左右に揺れ時を刻んでいる。
チック、タック、チック、タック
あの店の時計、目の前の時計、この時を刻む音…
記憶がフラッシュバックする…
彼女の瞳、彼女の言葉、そして時の音―――――
「５３０円ね」
僕はその声に現実に引き戻されてはっとした。
慌てて千円札を引き出して渡す。
「ちょっと待っててね」
おじいさんは目の前のレジには手も触れず奥に入っていった。壊れたまま直していないのかもしれない。
ふと外に目をやると道の少し先には小さな公園があった。
「はい、４７０円のおつり」
「ありがとう。あの、これその公園で食べたいんですけど、バイクをしばらくそこに置かせてもらえますか」
「うん？ああ、いいよ」
僕は礼を言うと店を出た。
「あそこで食おう」
「みー♪」
毎度のことながらみーは僕を置いて走っていった…

公園のベンチに腰掛けて菓子パンを食べた。空はどこまでも青く、風は春の香りに溢れていた。
この公園の桜は既に満開のときを過ぎ、薄い若葉が来るべき緑の季節を祝福するかのように、梢の上に踊っていた。

僕はベンチに腰掛けて菓子パンを齧りながら、振り子の付いた古い柱時計のことをぼんやりと考えた。
柱時計のことを考えていると、ついさっきまでいたあの喫茶店のことが、なにか遠い昔のことのように思えてきた。

確かに僕はその喫茶店でバイクを借りた。ピカピカのイギリス製のオートバイ。それは間違いようのない事実だった。
僕は今、そのリアルなバイクでリアルな公園に辿り着き、リアルなベンチに腰掛けてリアルな菓子パンを齧っている。

ところが、ほんの３０分ほど前までいた喫茶店での出来事は、時間が経つに連れ、その現実味を少しづつ失い始めていた。
その現実感は、まるで、バイクがその喫茶店から離れれば離れるほど希薄になって行くように、僕には感じられた。

単気筒エンジンのくっきりとした鼓動が、僕とみーを一歩づつ確実に先の世界へと推し進め、その反動として
喫茶店での出来事が少しずつ遠ざかり、なにか別の世界での出来事であったかのような、そんな錯覚にとらわれた。

「That's a Fact!」と、僕は口に出して言ってみた。

特にこれといった変化は何もなかった。みーが不思議そうな顔をして僕を見上げただけだった。

みーはすぐに牛乳を飲み終わると気ままにその小さな公園を散歩している。
何気なくその姿を目で追っていると、公園に入ってくる人が見えた。
僕より４つ５つ年上だろうか、近くに住んでいるのか、ラフな格好にサンダルの男性。
いつもなら男には目もくれないみーがなぜかその人の方に近寄っていく。
彼はみーに何か話しかけてから僕を見た。
「こんにちは、あれはあなたのバイクですか？」
「え？ええ」
どうやらヘルメットを見ての言葉のようだ。
「きれいなバイクですね。僕はあの手のバイクって全然わからないんだけど、よく手入れしてある」
「はぁ…」
僕のバイクではないのだが、うまく説明できないような気がしてあいまいに答える。
「あなたも乗るんですか？」
何か聞かなければいけないようで、聞いてみた。
「僕はオフロード専門なんですけどね」
眼鏡の奥の目をうれしそうに輝かせて答える。なんだかこっちも楽しくなる。ほんと、バイク乗りっていい。
「今日はこれからどちらへ？」
「決めてるわけじゃないんです。どこか桜でも咲いてないかと思って」
「それならいい場所がありますよ！」
彼は丁寧にその場所を教えてくれた。ここから１時間も走ったらつきそうだ。
「穴場というほどじゃないですが、それほど人も多くないし、わかりやすい場所です。よかったら行ってみてください」
「ありがとうございます。行ってみます。みー、行こうか」
「みー♪」
ほんとうに珍しいことにみーが彼に愛想をふりまいている。確かに人懐こい、話していても楽しい感じの人だがみーもどうしたんだろう。
「気をつけて…タヌ」
「は？」
「あ、いえ、なんでも」
彼は照れくさそうに笑うと軽く会釈した。なんだか不思議な気がしたが、聞き返すほどのことでもなく僕はバイクに戻った。
エンジンをかけ走り出すまで彼はにこにこしながら僕を見送っていた。

公園を出てしばらく走ると軽い峠道となった。
標高が上がるにつれて気温が下がってくる。
平日のせいか、さすがにツーリング中のライダーは少ないがそれでもたまにすれ違う度にお互いの無事を祈りピースサイン。中には軽々とフロントを上げ、ウイリーで応えてくれる人もいる。
へー・・・大排気量のXRかぁ、めずらしいなぁ・・・
などとヘルメットの中でつぶやくとそれに「ん？なに？」
と言わんばかりにみーが鳴く。
「ん？お前のことじゃないよ（苦笑）、それよりほら、見てごらん！」
僕たちの視界の先にはとうとう満開の桜が見えていた。

*****************

クルマもまばらな駐車場の片隅へとバイクを停める。
メインスイッチを切る。
そよ風が満開の桜を撫でて行く音が聞こえる程の静寂。
そしてその度にひらひらと舞い落ちる花びら。
脱いだヘルメットを片手に、しばらく桜に見とれていると、一台のバイクが駐車場に入って来た。
見覚えのある大柄なオフ車。

「ま・・まさか、よ・・陽子！？」

その"まさか"だった。
あのあと、陽子はどうしても自分であの不思議な話を確かめたくなり、無理を言って仕事を早退して高速に乗ってここまできたらしい。ちょうど僕が通って来た海沿いとは逆のルート。ここから南下して例の場所を探すつもりだったそうだ。この公園は、高速を降りて道を確認するために寄ったコンビニで教えてもらった、と言う。

「それにしてもこんなとこで逢うなんてすごい偶然だよな。」
「うん、そうね。"運命"かもね。。。それより、 すごいバイクね・・コレ。どこから持ち出して来たのよ・・・」
「これ、ベースはトライアンフかな・・だいぶカスタムしてるけど・・ねぇ、乗ってみてもいい？」

さすがに女ながらにして白バイ隊員になっただけのことはあり、陽子はメカに関しては僕よりくわしい・・・。

それよりも僕は、「"運命"かもね。。。」という、彼女が意味ありげに口にした言葉の方が気になっていた。
そして、おもちゃを前にした子供のようにはしゃぐ陽子の仕草を見つめながら陽子に対する感情の変化に気付き始めていた。

バイクを一回りして各部の点検を一気に済ませ
「クラッチいい感じネ」そう一言呟き、
一気にキック・・・ シングルの脈動に合す如く瞳を閉じてる 陽子。
「・・・」陽子の無言の視線が 僕の心まで入り込む。少したじろぎながら肯き返すのがやっとの 僕。
矢がつきささった様だぜ・・・。

ウィンカーが早いな もう歳？ 何て考えてたらメットが動いた。ドドッ ーーー 優雅な者よ、流石 白バイさん。 えっ！？
ワァッーン ２速でウィリーかい。あの矢はこれか？
左腕を振ってコーナーへ消えてゆく・・・。 呆れたおまわりさん。
「なぁ・・ 」主のいない 限定Blackのアフリカツインに跨り一服。
ーーー、−− 木霊する 排気音に一安心。
「 あいつ 煙草の煙嫌いだっけ？」
「 ・・・・」

陽子は満開の桜並木に沿って、軽快にバイクを走らせた。
シングルエンジンの心地よい鼓動と、バフ掛けされたタンクに映る桜のピンクとが、緩やかなワインディングの続く景色の中で見事なインタープレイを繰り広げていた。

細部にまで手入れの行き届いた美しいバイクを駆りながら、陽子は隆が何故こんなバイクに乗っているのか、気になってしかたがなかった。

このバイクの持ち主は、たぶん女性だ。それも、シックで品の良い聡明な女性。
バイクを駆りながら陽子はそれを直感した。

その直感は、「海水は塩辛い」とか「月は地球の周りを廻っている」というのと同じくらい確かなことのように、彼女には感じられた。

確証は何一つ無かったし、別の解釈は無数に出来そうだったが、陽子のライディングに反応するバイクの動きが、このバイクが愛情をもって乗られてきたことを示唆し、その愛情を注いでいた人物が女性であることを無言のうちに物語っていた。

陽子の心を、このバイクの持ち主に対する好意にも似た好奇心と、隆との関係についての素朴な疑問が、潮が満ちるようにゆっくりと満たしていった。

バイクを登りへと向ける。
タイヤスモークが漂う空気の中、深く深呼吸をし、ポジションを再確認した後、まるでそれが自分のマシンであるかのように何気なくスルスルと発進させる。
そして、ひとつめのコーナーをクリアした直後、深い前傾ポジションを取り、マシンのポテンシャルを確かめるように全開アタックへと入って行く。まるで自分専用にセットアップされたかのように確実に乗り手の意志に応答する足回り。ごく自然にライディングできるポジション。なにもかもが女性である陽子の走りに同調する。
そしてその事実は陽子の直感を確信に変える。
限界近くまで攻めたときの足回りの動き、それはあきらかに軽いウエイトのライダーに合わせたセッティング、つまり、オーナーが女性である事を明らかに主張していた。

胸の奥で疼き始める嫉妬心を否定するかのように陽子は更にペースを上げ、隆の待つ駐車場へと向かった。

*************************

公園の静寂を守るかのように陽子ははるか手前でメインキーを切り、惰性で駐車場へと入っていく。
そして、その美しいブリティッシュモーターサイクルから降りることなくポケットから自分のアフリカツインのキーを取出し隆に向かって放りなげ、
「もう少し、コレ、借りとくね！みー、おいで！！」
と言い、そのままクラッチを一瞬つなぎ、再びエンジンへ火を入れた。
みーもみーで、隆を振り返ることもなく陽子に向かって走り寄って行ったかと思うと、その膝でワンクッションおき、陽子が開けたウエストポーチの中へと入って行く。
「おいおい・・・待てよぉ！陽子っ！みーっ！！」
隆はあわててメットをかぶり、陽子のアフリカツインに跨るとその後を追った。
＜ったく・・・だいたい、行き先もいわないでどこいくつもりだ！？
まぁ・・それが陽子らしい、といえば陽子らしいんだけど＞
と隆は苦笑した。。。

慌ててエンジンをかけて後を追うがすでに１つめのコーナーに陽子の姿はなかった。
同じアフリカとは言え僕のバイクとはまるでセッティングが違う。ぎくしゃくしながら最初のコーナーを抜けると陽子がのんびり走っている。おや？
驚きつつも後ろに並んだ瞬間、いきなりホイルスピンしそうな勢いで加速する。
そういうことか。まったく。
一つギアを落とす。それにしても柔らかいサス、コーナーに突っ込むたびに車体が揺れる。てこずる僕を尻目に陽子はまるで何年も乗ってきたバイクであるかのように小気味よくコーナーをクリアしていく。
あいつ、人のバイクでどれだけ飛ばしてるんだ。
縮まらない距離に少しいらいらする。
それでもいくつかのコーナーを抜けるうちにだいぶ陽子のバイクにもなれてきた。突っ込むスピードはかなわないが立ちあがりは排気量でカバーできる。あと３つでおいついてやる！
少しムキになって陽子の背中を追う。それほどＲのきつくないコーナー、少しアウトめにバイクを振ってから一気にインに入る陽子。その瞬間、対向車が現れた。ぎょっとしてブレる車体、相手の車も驚いてガードレールぎりぎりにハンドルを切る。
僕は自分がそうなった時の数倍も心臓をつぶされるような息苦しさを感じながら減速した。
コーナーを抜けるとまだタイヤから白煙をあげながら、それでもきちんとバイクは路肩に停まっていた。
「おい！」
その後ろにバイクをとめてメットもとらずに駆け寄る。
「ああ、びっくりした。やっちゃったかと思ったわ」
「やっちゃったかじゃないだろ！借り物のバイクでそんな走り方するからだよ！！何かあったらどうするつもりなんだ！！」
さっきの苦しくなるほどの心配の反動でつい強い口調で責めてしまう。
「…ごめん、返す」
陽子はキーを抜くと僕に渡した。その手が震えている。陽子の手が震えるのを見たのは初めてだった。よほど怖かったのだろう。
「ほんと、ごめん。そうだよね、こんなきれいなバイクに傷つけるわけにいかない」
そうじゃない、僕が心配だったのはバイクのことよりも…
「とにかく少し休んでから行こう」
「みー？」
僕らの少し気まずい雰囲気を知ってか知らずか、みーがのんきに顔を出した。

僕らは、峠の途中にある路線バスの方向転換用のスペースにバイクを停めて一休みした。
走っているときには気がつかなかったけれど、ここでも桜の花は見事なまでに満開だった。

陽子はすっかりもとの機嫌を取り戻していた。立ち直りが早いのだ。彼女の頭の中では、フライパンのトウモロコシが瞬時にしてポップコーンに変化するみたいに、後悔の種が瞬時にして反省へと変化しているみたいだった。僕にはとても真似できない。

暫く桜を観ていた陽子がゆっくりと振り向いて、僕に尋ねた。

「ところで、このバイク、どうしたの？」

僕は、自分のバイクがパンクしたこと、バイクを押して行った先に小さな喫茶店があったこと、その店の女性オーナーにこのバイクを借りたこと、僕のバイクは女性オーナーの知り合いのバイク屋さんで直してもらっている（たぶん・・・）こと、それら一連の経緯について説明した。

説明するのにとても時間がかかった。実際に起こったことなのに何度も間違いそうになった。
小学校の国語の授業で、自分の書いたつまらない作文を読まされているような、そんな気がした。
途中で何度も止めようと思った。でも結局、最後まで説明した。
説明の最後に、「ウソみたいだけれど、ホントの話し。」と付け加えた。
そのせいで、この話しは、益々うそみたいになってしまった。

陽子は腕組みをして、小学校の国語の先生みたいに、黙ってその話しを聞いていた。
メガネをしていたら、そのフレームをそっと指で持ち上げそうな、そんな聞き方だった。
僕の話しを聞き終えると、陽子はその作文の出来を確かめるように、僕に質問した。

「そうすると、このバイクは、その喫茶店の女性オーナーのものなのね？」
「それじゃ、このバイクは、これからその喫茶店に返しに行くことになるのね？」
「私も一緒に行ってあげる。あなた、口下手だから私が代わりにお礼を言ってあげるわ。」

僕が口下手だって話しは、僕自信も知らなかったけれど、でもそれについては何も言わなかった。
何か言おうとしたのだけれど、上手く言葉が出てこなかった。

僕は黙って肯くと、満開の桜の下で再びヘルメットをかぶり、グローブをはめた。

「行くぞ、みー」
ご主人さまが呼んでいる。このおねいさんも一緒に行くみたいだ。
だったらおねいさんの方がいいな。だっていい匂いがするんだもん。
「なに、こっちがいいの？おいで」
わーい♪
おねいさんのところに走っていくとご主人さまはなんだかうらやましそうに僕を見てた。